安くて美味くてメニューも豊富、これぞ庶民の味方、チェーン店。財布に優しいその価格設定には、涙ぐましい企業努力と、搾取された労働者たちの影がちらつく。だが、それでも我々は足を運ぶ。なぜなら、人間には“安いものに群がりたい”という哀れな本能があるからだ。だが、この楽園には必ず代償がつきものだ。そう、地獄のような客層という名の“スパイス”である。
隣の席では、食べ終えた皿を積み上げながら大声で説教する中年男。反対側には、他人の目も気にせずTikTokの撮影に興じる若者たち。彼らの間を縫って、汗だくの店員が必死に皿を運ぶ姿は、さながら戦場の兵士のようだ。注文ミスでもしようものなら、即座に“下級国民裁判”が開廷。理不尽なクレームを浴びせる様子は、まるで彼らが人生の鬱憤を晴らしているかのようだ。
そして、これが“庶民の縮図”なのだと思い知らされる。安さを求め、利便性を求め、平等なサービスを要求しながらも、他人に対する最低限の礼儀はどこかに置き去りにしてきた人々の集まり。安いものを食べに行くだけで、同時に人間の“底辺”をも味わわされるという、ある意味で究極のコスパ体験。これがチェーン店のリアルだ。
だがまあ、これもまた一興だ。下級国民たちの生態を観察しながら、己の人生を省みる良い機会かもしれない。いや、むしろ“自分もその一員なんだ”と認める瞬間こそが、真の苦味といえるだろう。結局のところ、チェーン店に通う私たちは、みな一つの大きな鍋の中で煮込まれる具材なのだ。味の良し悪しなんて些細な問題。これが、私たちの日常、“底辺のユートピア”なのである。