未来のために何かをする大人なんて、絵空事だよな。彼らの辞書には「未来」なんて単語は無いんだ。「今」だけがある。輝かしい「今」、自分を満たす「今」、そして他人に押し付ける「今」。社会の建前では、「子どもたちのために」「次世代のために」とか耳触りのいいことを言ってるけど、その実態はどうだ?歳下に負担を押し付け、未来から金を前借りして優雅に暮らす。
よくある話だろ?社会保険料の値上げ、年金制度の歪み、環境問題の先送り。全部、若い世代への「信頼の証」なんだってさ。「どうせお前らは耐えるんだろ?俺たちの尻拭いをして、ついでに俺たちの浪費も支えてくれるんだろ?」って笑いながら未来を担保にしてる。これが大人のやり方。
でもさ、それでいて道徳を語り出すんだ。「若者たちよ、未来を切り拓け」「努力は裏切らない」とか、説教をかましてくる。自分たちが撒いた種を他人に刈り取らせる農場主が、のうのうとワイン片手に農業論を語る滑稽さよ。いやいや、未来を切り拓く道具はどこにある?スコップもハサミも無いのに「耕せ」って言われてもなあ。
ああ、そんな大人たちはこうも言うだろう。「これが社会のルールだ」ってね。ルールメーカー気取りの老害どもが、後ろに控える若者たちを使い捨ての労働力として見てる。まさに「ルール」という名の支配。人間をリソースとしてしか見てないんだ。
そんな大人、この世に要るか?いや、いらないよな。世界は確かに灰色だけど、それをさらに黒く塗りつぶしているのは自称「成熟した大人」たちだ。若者から何かを奪わないと成り立たない優雅な人生なんて、もう崩れてしまえ。